とりあえず、吃音について、最近思うことを書いてみよう。吃音のグループの人たちなどを見ていると、やはり多くの人が、言葉の流暢性にとらわれている。喋る言葉を工夫して吃っていないように聞こえさせることに、僕はあまり関心がなくなった。
 それよりも内面だ。内面である。音声としての言葉は表面に過ぎない。物理的な空間に振動する音声は、僕の内面を表している。心の内奥をのぞかなければ、吃音というものは分からない。

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